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公開国際シンポジウム「アフリカ都市を読む-ナイロビ・ゴンダール・ケープタウン-」

講演者:
日時: 2011年12月17日(土)・18日(日)
場所: 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所3階マルチメディア会議室(304)

独自の都市文化を持つとともに、植民地化のなかで数多くの都市が形成されたアフリカ。独立後現在に至るまでアフリカにおける都市の重要性はますます高まり、都市研究はアフリカ研究の中でも重要なトピックの1つになっています。本シンポジウムでは、ナイロビ(ケニア)、ゴンダール(エチオピア)、ケープタウン(南アフリカ)というアフリカの3つの都市を対象に、歴史学、地理学、GIS、文化人類学、メディアアートの専門家たちがそれぞれの立場を活かし、協働し、都市を読み解くことを試みました。2日間3つのセッションで構成された本シンポジウムを通じては、実証的・理論的両面をつなぐ学際的なアフリカ都市研究推進に資する、活発な議論が交わされました。


■■■当日プログラム■■■
***下方に報告文を掲載****
International Conference of ILCAA Core Project "Pluralistic World Understanding based on African Studies"

Reading African Cities: Nairobi, Gondar, & Cape Town

Saturday, 17 December 2011
14:00-14:10 Opening Remarks
14:10-16:40 Session I "Nairobi: Field 3D Mapping Project"
  "Memories of Changing Nairobi"
   Wakana SHIINO (ILCAA)
  "Analysis of Nairobi City by GIS"
Charles Ndegwa MUNDIA (Jomo Kenyatta University of Agriculture and Technology)
  "Challenge of Presenting Nairobi in 3D"
Yasushi NOGUCHI (Tokyo Polytechnic University)
17:00-20:00 Special Session "Urban Youth Culture in Africa"
"Lip Synch Practice ʻKarioki: The Social Dimension of the Youth Culture in Kampala, Uganda"
Midori DAIMON (JSPS / Kyoto University)
"Djembe Performance in Africa and Japan"
SUGEE (The ARTH)
Commentator: Rumiko MURAO (ILCAA)
Party
Sunday, 18 December 2011
10:30-13:00 Session II "Gondar: Urban Space and Architecture in Ethiopia, and the
Modernization
"Stone Architecture in Africa: Gondar Style Architecture of Ethiopia"
    Hiroki ISHIKAWA (ILCAA)
"Formation of Urban Space and Architecture in Gondar, the Transformation during Italian Occupation, and Present Situation"
Tomohiro SHITARA (Mohri, Architect & Associates, INC)
 13:00-14:00 Lunch
 14:00-16:30 Session III "Cape Town: The Explanation of City Characteristics Based on the Various Analytical Scales"
 Ryoji TERAYA (Ehime University)
Commentator: Kumiko MAKINO (IDE-JETRO) & Yoko NAGAHARA (ILCAA)
16:30-17:20 General Discussion
17:20-17:30 Closing Remarks

■■■報告 (プログラム順に掲載)■■■

第1セッション「ナイロビ―フィールド3Dマッピングプロジェクト」
本プロジェクトは、野口靖(情報デザイン、東京工芸大学)が開発中の時空間マップソフトウェア(c-loc)をもちい、社会-人文科学の研究者による研究―例えば人類学者、歴史学者、地理学者のフィールドワークによる成果のひとつの表現方法として提示することである。本プロジェクトでは、ケニアの首都ナイロビを舞台に、椎野若菜(社会人類学・AA研)、チャールズ・ンデグワ(GIS、ジョモケニアッタ農工大学)のフィールドワークや情報処理によるデータを事例にすることから着手し、写真等資料収集からフィールドワークの協働をし、いかに歴史的、人類学的データによる分析データをGISに交差させ可視的にナイロビが歩んできた時空間を表現することができるか学際的に模索している。本シンポジウムではその試みを紹介した。本プロジェクトはこれまでAA研IRCとFSC、そして基幹研究アフリカ班等から協力をえて実施しているプロジェクトである。

報告1. 椎野若菜(AA研)「ナイロビ―変化の記憶を探す」
   ケニアの首都ナイロビは19世紀末からイギリスによって建設された植民都市である。強制労働のための地方からの男性労働者流入、1963年の独立以降の建設ラッシュをへて、周知のように、ナイロビは東アフリカのなかでももっとも経済的活動が盛んな都市に成長した。グローバル化がすすむと同時に、ナイロビもますますグローバル経済に巻き込まれ、国内外から人びとやさまざまな文化的価値観が容赦なく入り、急速な変化の途にある。近年は中産階級の層が広がり、自家用車の所有者の増加、不動産の売買、住宅建設にも拍車がかかっている。中国資本が入り、道路建設もあちこちで行われ、ナイロビの景色はあらたな変貌の時期を迎えている。ナイロビで生まれ育つNairobianの人口も高くなると同時に、また地方から行きかう人も増えた。ケニア国内での移動も頻繁である。こうした状況のなかでナイロビの過去についての関心はうすれ、人びとのかつてのナイロビの姿、記憶は消滅していく一方である。本発表ではナイロビが建設されて以来の古い中心街やインド人によって築かれた商店街、Biashara streetに焦点をあて、その変化の記憶探しの事例を紹介した。
また、分野と出身国の異なる3人の研究者が「フィールド3Dマッピングプロジェクト」と名付け共同研究を始めた経験から、学際的に都市ナイロビをみること、協働で調査をすること、文化人類学の民族誌的情報の表現の新しいありかた、実験的エスノグラフィーを学際的な協働作業でめざす過程を示した。

報告2. Charles Ndegwa MUNDIA (Jomo Kenyatta University of Agriculture and Technology), "Analysis of Nairobi City by GIS"
  The objective of this study was to use Nairobi as an example of a rapidly urbanizing African city to study the dynamics of land use/cover changes and simulate future urban expansion, in order to address the need for urban management tools that can guide sustainable urban planning policies. Cellular Automata, that integrates biophysical factors with dynamic spatial modeling, was used for this study. The model was calibrated and tested using time series of urbanized areas derived from land use/cover maps, produced from multi-spectral satellite imageries, and future urban growth projected out to 2030. The model accuracy assessment results showed high accuracies, indicating that the simulated results were realistic and accurate, thereby confirming the effectiveness of the model.
The results show rapid land use/cover changes and indicate that the model is useful for urban modeling and an effective tool to foresee the spatial consequences of poor planning policies in the context of many cities in Africa. The forecast for Nairobi shows an unsustainable sprawled urban growth. The results show that urban simulations can represent a useful approach to an understanding of the consequences of current planning policies or their incompleteness.

報告3. 野口靖(東京工芸大学)「ナイロビを3Dで表現する」
本研究の目的は、3Dグラフィックスを利用した「時空間」マッピングシステムを汎用性の高いソフトウェアとして開発する事であり、本ソフトウェア(c-locソフトウェア)は人類学、地理学、歴史学等の時空間情報を扱う研究者から一般ユーザまでを対象として、ユーザ自ら時空間情報を可視化するためのものである。c-locソフトウェアの特徴として下記のことを主に説明を行った。
  1. 文章、音声、画像、動画を載せることが可能
  2. GPS端末、GPSカメラとの連携
  3. 美しい3Dグラフィックスによる高速で滑らかな表示
  4. 使いやすさを考慮したインタフェースデザイン
  5. データベースとの連携(XML)
  6. Microsoft Excelによって作成されたデータの入出力
 更に本発表では、これまでの本ソフトウェアをつかった成果の紹介と、今後の利用方法として、椎野およびンデグワの研究成果を時空間マップとして可視化させることによって、社会人類学研究における時空間マップシステムの有用性を提案した。

特別セッション「アフリカ都市文化のいま」

報告1. 大門 碧(日本学術振興会 / 京都大学大学院)「ウガンダの首都カンパラにおける若者たちの「カリオキ」ショー―その背景と社会的意義」
   東アフリカの内陸に位置するウガンダの首都、カンパラでは、毎夜のようにレストランやバーで、日本の大衆文化「カラオケ」を語源とする「カリオキ」と呼ばれるショーが開催されている。店内のステージでは、露出度の高い衣装を着た若い男女が、「カリオキ」ショーとしてダンスや歌を披露する。カリオキは、一見、口と身体を動かして、歌っているかのような雰囲気をかもし出すが、いわゆる「クチパク」のパフォーマンスで、声を発しないものである。このカリオキは、カンパラにおいて、歌手のコンサートなどといったステージ・パフォーマンスよりも、大衆的な人気を誇っているのが特徴である。本発表では、カリオキを「アフリカ都市の現在」を考察する入り口と捉え、カリオキ誕生の社会文化的背景を明らかにした。
「クチパク」のパフォーマンスが「カリオキ」という名で呼ばれるようになったのは、2000年以後であった。「カリオキ」という呼び名は、たしかに日本のカラオケを語源にしているが、当該のショーにつながるエンターテイメントにかかわっていた人びとが直接名づけたものではない。1990年代半ばに、カンパラのバーにカラオケ・マシーンが導入されて、若者たちが集って西欧のポピュラーソングを歌う「カラオケ・ナイト」という催しが人気を集め、「カラオケ」という言葉はカンパラ社会に入った。しかし、それ以前から若者たちは、歌の入った音楽を流しながら、それにあわせて歌うという遊びもおこなっていた。また、後に「カリオキの創始者」と呼ばれる若者たちのグループは、当初、歌を歌うまねをするパフォーマンスに興味をもっていたわけではなかった。それでもカリオキというショーが今日のように盛んになったのは、ウガンダのポピュラー音楽やプロモーションビデオの発展、中間所得者のあらわれ、音楽メディアや携帯電話の普及、そして、若者たちの流動性の高い社会関係が相互にかかわったことが強く関係していたためである。また、カンパラの若者たちによる「カリオキ」のグループ編成の実態からは、都市化の進むカンパラにおいて、将来を模索する若者たちならではの社会的な営みが描出されていた。すなわち、カンパラの若者たちにとって、カリオキとは学校から出た若者たちがビジネスについて考え始めるプロセスで営まれるものであり、若者たちがさまざまな人びとに出会い続ける場として発展していることが示された。

報告2. SUGEE(The ARTH)「アフリカと日本におけるジェンベの世界」
ジェンベとは、ギニア、セネガル、マリ、ブルキナファソといった、かつてマリ帝国の版図であった西アフリカ一帯で用いられている、素手で叩いて演奏する深胴・片面の太鼓である。本報告では、日本とアフリカにおけるジェンベ演奏の特徴について、両者の音律や音調の相違や類似性を中心として、ジェンベの実演を交えながら解説した。また楽器を奏でつつ口頭伝承を朗誦する西アフリカのグリオの音楽と、日本の沖縄民謡の要素を融合させた、新たな音楽を創造できる可能性について示唆した。

第2セッション「ゴンダール―エチオピアの都市建築と近代化」

報告1. 石川博樹(AA研)「アフリカの石造建築―エチオピアのゴンダール様式」
サハラ以南アフリカ、すなわちアフリカ大陸のなかでサハラ砂漠の南に位置する地域の文化の特色の1つとして、しばしばヨーロッパ人到来以前に石造建築が存在しなかったことがあげられる。その中で北部エチオピアは例外的な存在であり、紀元前一千年紀から多様な石造建築が残されてきた。ソロモン朝エチオピア王国におけるゴンダール様式の石造建築もその1つである。
   1270年に現在のエチオピアの中央部に成立したソロモン朝エチオピア王国は、君主がソロモンとシェバの女王の間に生まれた息子の末裔と称され、住民の多くが非カルケドン派のエチオピア教会の信徒であるキリスト教国であった。16世紀半ばまでソロモン朝の君主たちは特定の場所に居を定めず、天幕で移動を繰り返していた。しかしオロモと呼ばれる民族の進出によって王国の版図が大きく縮小した16世紀後半になると、ソロモン朝の君主たちはエチオピア北西部のタナ湖に近い地域に宮殿を建築するようになった。
   タナ湖の北に位置するゴンダールは標高2200mの高台に築かれた街である。ここを都としたのはソロモン朝君主ファシラダス(在位1632-1667年)であり、ゴンダールは1855年までエチオピア王国の都としての地位を保った。ゴンダールの内外にはゴンダール様式と称される石造建築群が存在する。まず中心部にはファシル・ゲッビと呼ばれるゴンダール期(1632-1769年)の歴代君主が造営した宮殿群が立ち並ぶ石壁に囲まれた一画が存在し、その西方にはファシラダスの離宮が佇む。また郊外の丘の中腹には、ゴンダール期後半に王国内で隠然たる政治的影響力を発揮したイヤス2世(在位1730-1755年)の母后メンテッワブが住んだコスカム宮殿が存在する。さらにゴンダールの近郊を含め、タナ湖周辺の大小の河川には石造アーチ橋が多数存在する。
   これらの石造建築については、ソロモン朝君主ススネヨス(在位1607-1632年)の年代記やイエズス会士の報告などの同時代記録から、インド人、エジプト人、ギリシア人、ポルトガル人などがエチオピアの職人とともに建築にあたったことが知られている。しかし1620年代には「ヨーロッパには、薪の不足も問題にならずに多くの人々が一箇所に集住する都市というものがある」というイエズス会士たちの話を聞いて人々が大いに驚いたというエチオピア王国において、その後なぜゴンダールという都市が成立したのか、あるいはゴンダール期のエチオピア王国内においてゴンダール様式の建築技術がどのように継承されていたのかといった重要な問題について、文献に基づく歴史学研究で明らかにできることには限界がある。これらの問題の解明には、建築学をはじめとする関連諸分野の研究者との共同研究が必須である。

報告2. 設楽知弘(毛利建築設計事務所)「ゴンダールの都市・建築の形成、イタリア占領による変容、そして現在」
   エチオピアの古都として名高いゴンダールは、ソロモン朝ゴンダール期(1632 - 1769年)に栄えた都市である。ソロモン朝の皇帝は幕舎(テント)を用いて移動を繰り返していたとされるが、初めて皇帝が定住したのがゴンダールである。皇帝ファシラダスによる遷都以降、王宮群とその周囲に展開する居住区が形成され、住宅、宗教施設、市場などが建設された。街は拡大し、一時期には人口6万人程度まで繁栄したことがわかっている。
しかしソロモン朝諸公侯時代(1769-1855年)に入ると一転し、帝政の弱体化から街は衰退の一途をたどることになる。この間、約2世紀にわたり都であり続けたゴンダールは、近世エチオピアにおける都市と建築の文化を今日に伝えるすこぶる重要な役割を果たしている。
   一度衰退したゴンダールに変化が起こるのはイタリア占領期(1936-1941年)である。イタリア領東アフリカ帝国アマラ州の州都となったゴンダールは、イタリア人による都市計画マスタープランの策定とその施行により変貌を遂げていく。セグリゲーション(人種隔離)によりエチオピア人とイタリア人の居住区は分離され、イタリア人地区には道路や電気、水道や電信などの都市インフラストラクチャーが整備された。また、役所や教育施設、銀行や店舗、ホテルや住宅など多種多様なイタリア・コロニアル建築が建設された。
イタリアの占領は、近世の土着的な都市からヨーロッパ風の近代的な中心街をともなう都市へとゴンダールの都市構造を大改造しただけでなく、石と木による建築文化を育んできたこの地にコンクリート、鉄、ガラスによる近代建築をもたらした。
   それ以降、皇帝ハイレ・セラシエ政権、社会主義政権を経て、現在もゴンダールはエチオピア北部の中心都市として位置づけられている。この間、3回の都市計画マスタープラン(1967年、1994年、2006年)が策定、施行され、本発表者は博士課程在籍時に約3年間にわたりゴンダール市役所に勤務し、2006年の策定事業に従事した経験をもつ。
近世から近代、そして現在までのゴンダールの都市と建築の歴史的変遷を見ていくことは、エチオピアにおける都市と建築の形成とその近代化が如何にしてなされたかを探るうえでもきわめて興味深い。また、サハラ以南のアフリカ地域において、ゴンダールの様に欧州による植民地(占領)支配の前後における都市と建築の変容について比較考察可能な都市が決して多くはないことは特筆されることである。
本発表ではこうした点を踏まえ、ゴンダールの都市と建築の形成と近代化そして現状までを論じた。

第3セッション「ケープタウン―様々な分析スケールからの都市叙述の試み」

報告 寺谷亮司(愛媛大学)
 本報告は、都市地理学の観点から、異なる分析スケールの援用によって、ケープタウンの都市特性を考察することを目的とした。地域ないし地域的事象を考察するには、様々なスケールでの捉え方が可能であり、分析スケールによって、観点、問題点、見えてくる事柄などが変わってくる。分析スケー ルとは、地域や事象を考察する場合の範域の大小であり、マクロ(巨視的)、ミクロ(微視的)などと表現される考察内容の精粗である。都市の性格にみられる固有性と一般性を考察するには、他都市との比較の観点が重要であり、その際には分析スケールを同じレベルに設定する必要がある。また都市の機能を研究するには、周辺農村地域との関係、全国あるいは世界の大都市群との関係も考察するべきであり、異なる分析スケールを組み合わせることが望まれる。
   報告者の主たる関心は、ケープタウンのゲートウェイ都市特性(都市成立と都市機能の変遷など)、アパルトヘイト都市特性(黒人居住区の分布など)、ワイン産地特性(ワイナリ-の分布と性格など)である。このため、本報告は、「ケープタウンの主要都市機能は何か、黒人はどこに住み、ブドウ畑はどこにあるのか」を基本的な問いとして、異なる地図スケールでの考察を通じて、ケープタウンの都市特性を多面的に浮かび上がらせることを試みた。各分析スケールの概要は以下のとおりである。
    ①大陸スケール(地図事例:アフリカ全図、地図凡例距離:数千km)
    ②国家スケール(南ア共和国全図、数百km)
    ③都市圏スケール(ケープタウン通勤圏図、ケープワイン産地地図、数十km)
    ④都市内部地区スケール(ケープ半島図、パール地区ワイナリー位置図、数km)
    ⑤都市街区スケール(ハウトベイ地区図、パール都心地図、数百m)
    ⑥都市ブロック・ワイナリースケール(黒人インフォーマル居住区(Imizamo Yethu)地図、ワイナリー(「Fairvalley 」(「Fair View」黒人労働者がまちづくり・開発プロジェクトを実践中)地図、数十m)
なお、上記空間スケールは、以下のような時間スケール(対応事象例)と対応するものと思われる。①数千年(気候変動)、②数百年(黒人移住など人種別移民史)、③数十年(人種別居住地区指定の変更)、④⑤数年(地区・居住区人口数の推移)、⑥数ヶ月(世帯主やワイナリー労働者の季節別仕事内容の変化)

以上の報告にかんし、永原と牧野がコメントを行った。永原は、ケープタウンにおける都市空間の人種的隔離の生成を、9世紀半ばから20世紀半ばの間に順次展開するlocation、reserve、township の概念を手掛かりに、各タウンシップの成立史をあとづけた。牧野は、アパルトヘイト時代の強制退去の代表的なケースであり、アパルトヘイトをめぐる「記憶の場」となっている"District Six"の例を取り上げ、アパルトヘイト後の都市再開発におけるnon-racialismの理想、住民の参加と商業的開発の関係をめぐる議論等について紹介した。