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梅屋潔

Umeya kiyoshi
(神戸大学大学院国際文化学研究科 准教授)

東アフリカ、ウガンダにすむナイル系アドラ民族の宗教と世界観の研究


私はここ12、3年ほど、ウガンダとケニアの国境近くのトロロという地域の村でフィールドワーク(現地調査)をしています。専門用語をつかうと「妖術・邪術をはじめとする世界観の研究」をしていますが、わかりやすくいうと「呪いや祟り」をキーワードにそこに住む人びとの考え方を知ろう、としているわけです。社会=文化人類学では、現地に出かけ、そこに何年か住み込み調査を行うことが方法論の中心となっています。しかも、ひとたび調査基地を定めてからはあまり移動することはありません。多くは定点観測です。とくに私が中心的な課題にしているのは、呪いとか祟りとか死霊とか、質問をしてすぐ答えが返ってくるようなものではなく、語るのがはばかられるような話題ですから、とくに時間がかかります。信用を獲得するためには同じ場所に何年もかけて住み、何回も訪れる必要があります。なぜ、呪いや祟りをキーワードにしているか、という問いにはいろいろな答え方がありますが、こういった「超自然的」な観念が持ち出されるときには、その社会の中心的な価値観が表出すると考えるからです。例えば、アフリカでは、妻には子供を産むことが強く期待されています。豊穣の観念とも結びついています。子供が生まれないということは社会の中心的価値基準からいうと「異常事態」です。そこで呪いが疑われます。そして呪術医を呼んで「解呪」するわけです(目的論的に説明するのは間違っていますが、当の女性の責任が少なくとも最初には問われない、という副次的効用もあります)。アフリカに限りません。日本にも沖縄のユタや東北のイタコやカミサマのような呪いや祟りを扱う宗教者がいます。「困ったときの神頼み」という言葉もあります。不治の病にかかったときに位牌やお墓のありかを問題にする人は日本にも多いはずです。これは祖霊の問題に他なりません。健康で、何不自由なく暮らしていれば不要な観念に見えるかも知れませんが、ひとたび「災い」に直面したときにはとたんにそういった「超自然的」な観念の出番が来るのです。人は、自分が生まれてきた理由さえ知りません。「いかにして」How不幸になったかはわかります。しかし、「なぜ」Whyどうして自分にこんな不幸が降りかかってくるのだろう、という解答のでない難問に答えるには(答えないで放置できるほど人間は図太くはできていないようです)、まだまだ呪いや祟りの居場所はあるのです。


このプロジェクトでは、上記の研究を進めてきた過程で出会った考え方、人、関係などを資源として、何かできれば、と考えています。現在のところ、ずっとお世話になっていたウガンダにあるマケレレ大学で国際シンポジウムを開ければ、といろいろな人に相談しているところです。


<主要業績>

『憑依と呪いのエスノグラフィー』(浦野茂・中西裕二と共著)岩田書院, 2001年.
「酒に憑かれた男たち―ウガンダ・アドラ民族における酒と妖術の民族誌―」中野麻衣子・深田淳太郎編著『人=間の人類学―内的な関心の発展と誤読―』はる書房,2010年.
「ある遺品整理の顛末―ウガンダ東部トロロ県A・C・K・オボス=オフンビの場合―」『国立歴史民俗博物館研究報告』印刷中、近刊.

<関連HP>
http://www2.kobe-u.ac.jp/~umeya/site01/