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永原陽子

Nagahara yoko
(教授)

私はアフリカ大陸の南部(南アフリカとその隣のナミビア、そしてそれにつながるボツワナ、アンゴラなどにまたがる地域)の歴史について勉強しています。不思議な動植物に出会うことのできる場所としてテレビなどにはたびたび登場しますが、この地域の歴史は、多くの人にとってほとんど馴染みのないものでしょう。
 サハラ砂漠を縦断する交易をつうじてアラブ・地中海世界とつながっていた北アフリカ、インド洋交易をつうじてアラビア半島、インドそして遠く中国ともつながっていた東アフリカ、奴隷貿易によってヨーロッパ・南北アメリカと深いつながりをもった西アフリカなどとは異なり、南部アフリカが外部世界と交渉をもつようになったのは、比較的新しい時代です。そのためとくに19世紀以降、南部アフリカの社会はきわめて濃縮された形で植民地主義を経験し、植民地宗主国との関係にとどまらず、遠く東アジアなどを含む「世界」との関係の中に一挙に放り込まれました。
 そのような時代の南部アフリカ社会の変容を人々の生活に即してとらえ、今日あるような国家や民族の関係が成立してくる事情をあとづけ、それをつうじてアフリカの人々が「世界史」のどのような主体であったのか、アフリカから見た「世界史」とはどのようなものかを理解し、描き出すことが私の研究の目標です。


<主要業績>
永原陽子、富永智津子編『新しいアフリカ史像を求めて―女性・ジェンダー・フェミニズム』御茶の水書房、2006年.
永原陽子編『「植民地責任」論―脱植民地化の比較史』青木書店、2009年.
永原陽子編『生まれる歴史、創られる歴史 ― アジア・アフリカ史研究の最前線から』刀水書房、2011年.

深澤秀夫

Fukasawa hideo
(教授)

飛鳥・奈良時代にインドネシアの島々から8000kmのインド洋の波涛を越えてマダガスカル島までやってきたオーストロネシア人、17世紀から18世紀に自由共和国をマダガスカル島に造ろうとしたヨーロッパの海賊たち、フランス革命前後の動乱のヨーロッパを巻き込みマダガスカル島の<王様>になろうとしたハンガリー人のベニョフスキー、19世紀博物学の世紀を体現する60巻の『マダガスカルの自然と政治と物質の歴史』を著したA.グランディディエール、 20世紀植民地期マダガスカルの平穏と退屈と孤独の中でマダガスカル人の詩歌の研究を行ったフランス人評論家J.ポーラン、同じく植民地期マダガスカルに生まれ過剰な言語能力と日常に潜む死の不条理と哀惜の彼方に自死した作家J.ラベアリヴェル、そんな人びとを育んできたマダガスカルの土地の上で繰り返される生と死の日常に惹かれ、30年近くの時が過ぎてゆきました。


<主要業績>
深澤秀夫(1986)「稲作を生きる、稲と稲作の実践と戦略-北部マダガスカルTsimihety族に於ける稲作と共同労働-」 『東南アジア研究』26巻4号 pp.394-416.
深澤秀夫(2007)「家内的領域と公的領域の語られ方-北西部マダガスカルツィミヘティ族におけるムラの集会の会話資料の分析に基づいて-」 『アジア・アフリカ言語文化研究』61号 pp.1-50.
深澤秀夫(2011)「ラベアリヴェル 校正係の夢-作家に非ざる作家としての二〇世紀個体形成-」 真島一郎編著『二○世紀<アフリカ>の個体形成 南北アメリカ・カリブ・アフリカからの問い』平凡社 pp.675-708.


<関連HP>
個人ウェブサイト


河合香吏

Kawai kaori
(准教授)

1986年以来,東アフリカ・ケニア共和国において,東ナイロート語群Maa系の言語集団に属する牧畜民チャムスを対象とした人類学的研究をすすめてきました。1994年以降は,北ケニアの極乾燥地域に住む牧畜民トゥルカナの調査,および北東ウガンダ・カラモジャ地域の広域調査を経て,1997年より東ナイロート語群Teso-Turkana系(Karimojong Cluster)の牧畜民ドドスに対象をさだめてインテンシヴな調査を開始しました。
 チャムスを対象とした研究では,民族医学,民俗生殖理論と性,年齢組織と年齢カテゴリーなどをテーマに,「身体という自然」を結節点とした文化・社会のダイナミクスを描くことを目指してきました。ここでは,身体は「主体」に閉じこめられたものではなく,また,象徴論的な立場から一元的にとらえられるのでもなく,広く文化・社会にひらかれたものとしてあつかわれます。これにより,さまざまな規範や制度,知識や信念,具体的な行為等のうちに生きられる人びとの経験を,身体的な存在としての人間がかかえている「自然」と,人間がつくりあげてきた文化・社会との相互関係のなかにたちあらわれるものと位置づけて理解することが可能となります。
 チャムスにおいて身体をめぐる認知と実践に集中してきた研究は,トゥルカナ,ドドス調査の進展とともに,身体性を基軸とした人間・自然・社会の相互関係の解明をめざす自然観・環境認識の問題系へと展開されています。その軌跡をしめす研究成果は,『野の医療-牧畜民チャムスの身体世界』(1998)から「身体という『自然』-牧畜民チャムスの認識と行為から」(2000)をへて,「『地名』という知識-ドドスの環境認識論・序説」(2002)へとつらなる一連の研究として提出されています。現在は,議論の対象を「身体という自然」からより広くひろく自然一般に敷衍させてゆく架橋として,とくに土地と自然資源にたいする認識,利用,領有をめぐる実践と空間表象に的をしぼった研究をすすめています。


<主要業績>
  河合香吏『野の医療:牧畜民チャムスの身体世界』東京大学出版会,1998年.
  河合香吏編『生きる場の人類学―土地と自然の認識・実践・表象過程』 京都大学
  学術出版会,2007年.
  河合香吏編『集団:人類社会の進化』京都大学学術出版会,2009年.
  床呂 郁哉・河合香吏編『ものの人類学』京都大学学術出版会,2011年.

真島一郎

Majima Ichiro
(准教授)

コートディヴォワールをはじめ、仏語圏西アフリカ地域全般にかんする民族誌学をこれまで勉強してきました。
 アフリカという多元的世界のいまと真向かうには、研究者も多元的たることを余儀なくされるように感じています。コートディヴォワール西部内陸の国境域に居住する民族ダンの仮面文化をまなぼうと村住まいをしていたとき、国境のむこうでリベリア内戦が勃発しました。自分がダン社会の民族誌家であることを忘れまいとしながらも、不幸な内戦に到ってしまった近現代リベリア社会の研究に着手したのち、二〇世紀西アフリカ民族誌の鍵をにぎる概念として、「市民」と「個体」に研究の照準をあわせるようになりました。
 この数年は、フランス人類学の父マルセル・モースの生涯における民族誌学と政治思想との関わりにもテーマを広げながら、たとえばセネガルの庶民のあいだでしばしば交わされるウォロフ語の言葉、《ニョン・ファル!(仲間じゃないか!)》にひめられた、力の奥行きについても想いをめぐらせています。


〈主要業績〉
真島 編(2011)『二〇世紀〈アフリカ〉の個体形成-南北アメリカ・カリブ・アフリカからの問い』平凡社、765p.
真島(2011)「モース・エコロジック」『現代思想』39(16): 136-152.
真島(2011)「空白の地から-大江健三郎とアフリカ」『早稲田文學』第10次4: 330-339.
真島(2011)「未完のナシオン論-モースと〈生〉」『マルセル・モースの世界』(モース研究会 編)平凡社新書, pp.157-179.
真島(2010)「秘密という幻、女という幻-他と在ることの民族学」『幻のアフリカ』(ミシェル・レリス著)平凡社ライブラリー, pp. 1027-1065.


〈関連HP〉
個人ウェブサイト
http://www.aa.tufs.ac.jp/~imajima/

椎野若菜

Shiino wakana
(准教授)

ケニアのヴィクトリア湖周辺に暮らすルオ(Luo)の人びとの村に、1995年から断続的に住み込んで人類学の調査をしています。修士課程の頃は葬送儀礼の調査、そして博士課程では一緒に暮らしていた寡婦たちが、夫亡きあと代理の夫をもつ「レヴィレート」の制度とどのように向き合い、組み込まれて、ある時は「使って」暮らしているのか、彼女らをとりまく複雑な人間関係などをつうじみてきました。またルオ社会のセクシュアリティ、ジェンダー、呪術、災因論、空間認識については細かなルオの「決まりごと」の内容と深くかかわり、生活の実践の場で繰り出されていますが、まだうまくその世界観が整理し描き切れていません。
また、ルオの人びとが植民地化前後にどのように暮らし、居住形態や社会組織を変化させてきたのか、ということに関心があり、学際的研究に着手しました。ほかのテーマでも、フィールド、テーマを介して異分野の研究者とのコラボの可能性にも挑み始めたところです。
 いまや日本にいてもケニアの村と携帯がつながり、いつでもフィールドの家族や友人とのsmsのやりとりができるようになった現在。フィールドとの関係性、人類学のやり方も変わってきそうです。


<主要業績>
椎野若菜編『やもめぐらしー寡婦の文化人類学』明石書店、2007年。
椎野若菜『結婚と死をめぐる女の民族誌―ケニア・ルオ社会の寡婦が男を選ぶとき』世界思想社、2008年。
奥野克巳、竹ノ下祐二、椎野若菜共編『来るべき人類学シリーズ セックスの人類学』春風社、2009年。
椎野若菜編『「シングル」で生きる―人類学者のフィールドから』御茶の水書房、2010年。


<関連HP>
椎野若菜HP 
フィールド3Dマッピングプロジェクト 

石川博樹

Ishikawa hiroki
(助教)

私はソロモン朝エチオピア王国という13世紀にエチオピア高原に成立した王国の歴史研究を専門としています。ソロモン朝という名称は、君主たちがシェバの女王と古代イスラエル王国のソロモン王の間に生まれた息子の末裔と称したことに由来します。エチオピア高原には4世紀にキリスト教が伝わり、その後エチオピア教会という独自のキリスト教会が成立しますが、ソロモン朝エチオピア王国の住人の多くはその信徒でした。彼らはゲエズ文字(エチオピア文字)を用いて各種の文書を残しました。また16世紀から17世紀にかけてこの王国でローマ・カトリックの布教を試みたイエズス会士たちも多くの記録を著しています。これらの史料を用いて、未解明の問題が数多く残されていた16世紀から18世紀にかけてのソロモン朝エチオピア王国史の研究にこれまで取り組んできました。今後はエチオピア史の研究を続けつつ、サハラ以南アフリカ(アフリカ大陸の中でサハラ砂漠の南に位置する地域)の他の地域の歴史研究にも着手する予定です。


<主要業績>
『ソロモン朝エチオピア王国の興亡―オロモ進出後の王国史の再検討』山川出版社、2009年.
 「イエズス会北部エチオピア布教―識字能力の観点から」川村信三編『超領域交流史の試み―ザビエルに続くパイオニアたち』上智大学出版会、2009年、182-204頁.
 「選択される過去―北部エチオピアのキリスト教徒の歴史認識」永原陽子編『生まれる歴史、創られる歴史―アジア・アフリカ史研究の最前線から』刀水書房、2011年、3-30頁.


<関連HP>
個人ウェブサイト

苅谷康太

Kariya Kota
助教

これまで、アラビア語資料の分析を礎に、サハラ以南アフリカ北西部からサハラ沙漠西部、北アフリカ、そして西アジアへと広がる、イスラーム知識人達の知的連関網を研究してきました。北アフリカや西アジアは勿論ですが、サハラ沙漠西部やサハラ以南アフリカ北西部にも、現地の人々が書き残した大量のアラビア語文書群が存在しています。また、サハラ以南アフリカ北西部では、アラビア文字を使った現地語の書物も数多く著されてきました。今後も、こうした豊富な文字資料の分析から、西アフリカおよびその周辺地域のイスラームの諸側面を詳細に検討していこうと思っています。

また同時に、サハラ以南アフリカ北西部の多様な現地信仰の体系にも関心を抱いており、上記のようなアラビア語および現地語の文字資料をこうした信仰体系の歴史的様相の把握に利用できないかと考えています。


〈主要業績〉
苅谷康太『イスラームの宗教的・知的連関網:アラビア語著作から読み解く西アフリカ』東京大学出版会、2012年。
Kota Kariya, "The Murid Order and Its 'Doctrine of Work'," Journal of Religion in Africa, Vol. 42, No. 1 (2012), pp. 54-75.

村尾るみこ

Murao rumiko
(研究機関研究員)

私はザンビア西部のアンゴラ出自の移住民社会を対象として、主に移住後の彼らの生業の変化をおってきました。ザンビアやアンゴラ、グローバルな政治経済動向と連動し、彼らの日常の営みがいかなる状況におかれつつ変化してきたのか/しているのか、彼らの社会と主生業である焼畑農耕との関係に注目して考察をすすめています。本研究で注目するアンゴラ移住民は、アンゴラおよびザンビアでの西欧による植民地支配の歴史と深い関わりをもつとともに、独立後両国のたどった内戦や民主化、構造調整、および南アフリカを核とする南部アフリカの政治経済変動と無関係でないまま、今日まで生活を再編してきました。すなわちアンゴラ移住民は、現近代の南部アフリカの特徴的かつ多元的な変化を生き抜いてきたアフリカ農耕民として、注目すべき人びとといえます。

 これまでの研究では、主にアンゴラ移住民を対象としながら、1)自然環境と農耕技術の変化とのかかわり、2)現金稼得活動としての女性の主食作物販売、3)土地利用、の3点を取り上げてきました。現在は、上3点を継続して分析するとともに、ザンビア西部およびアンゴラと歴史的関連の深いナミビア・カプリビ州における農村社会、および近年盛んなザンビアとの農産物物流に関する市場調査を開始し、ザンビア西部とナミビア北東部との比較研究をすすめています。